Bible Talk (わたさんの一言)






バベルの塔 (1999.4.25)

世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。
東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。
彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。
石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。
彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。
そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。
主は降ってきて、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた。
「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。
これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。
我々は降っていって、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」
主は、彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。
(創世記11:1〜8)
有名な聖書の箇所です。
今回読んでみて、ふと気づいたことは、塔を建てる動機の一つが、「全地に散らされることがないために」だったと言うことです。
改めて気づいてビックリしました。塔を建てようとした結果、意図とは逆に、全地に散らされてしまったのですから。
でもなぜ、人々は全地に散らされることを怖れたんだろう???
やはり、人間は共同で生活する生き物なんですね。

同じ言葉を話すってことは、人間が共同生活をする上で、本当に大事な基本的なことですよね。
今、旧ユーゴで悲惨な戦争が起こっていますが、彼らの言葉が同じだったら、戦争は起こらなかったんじゃないでしょうか。
その言葉を通じなくさせられたというのは、人間の共同社会を破綻させるという意味で、本当に理解に苦しむほど厳しい神様の裁きだったんじゃないかと思います。その裁きを決断された神様の断腸の思いを思います。

人々は、人間の科学、文化によって、世界をとりまとめようとしました。
人間の力だけが信頼に足るものと考えました。
そして、人間の力の誇示、権力によって、人々を統一しようと考えたのです。

人間が自らの力を過信したときにどのような悲惨なことになるか、歴史はそれを証明しています。
昨年映画で大ブームとなった、タイタニックの事故はそれを顕著に物語っています。

最近の生命の領域への科学、医学の発展には懸念するところが大きいと感じているのは私だけでしょうか?
クローン動物の生産、夫婦以外の精子・卵子による体外受精、、、、、
人間のある部分の都合によって、生命が操作されていく、
やはり、神の領域を犯しつつあるのではないかと、とても心配です。
ある部分については、最善を尽くしているつもりでも、それが世界全体に及ぼす影響について全てを予測することなど人間にはできない。
そして、その影響への責任をとることなど到底できない。
やはり、人間は、自分の不完全性を十分に認識しながら、神様を畏れつつ行かなければならないのではないでしょうか。

バベルの塔の出来事は、
神様を第一とし、神様との関係を中心としない限り、人間の正しい共同社会は成立できないということを教えてくれているように思います。
 

綿谷 剛