目次に戻る

イエスの言葉


イエス・キリストがもし、大阪出身だったら・・・・・・



とはだけで生きるんやあへん

みさんの口からる ひとつひとつのとばで生きのや




安息日は 人のためにおますのや 

とが 安息日のめにあのとちがいますのや 

かい、人の子は、安息日のおますのや 




こころの貧しいんは さいわい

ん国は その人らのんやさかい




悲しんでるもんは さいわい 

その人らは 慰められますのやさかい




おまはらは 地のおや 

 しおのききめが のうなったら どうやっ その味が取り戻されまんねや 

おまはらは 世のかりや 

山の上にあるちは 隠れるとがでけまへん 




昔のとらに 「殺し ころしたんは さいばんを受んなん」言われてきたわ。聞いてますろ。

やけど、言うときます。

きょだいにいして怒るもんは だれいばんを受あかん。

きょだいにいして 「まぬけ」っちゅうつは、ぎかいに引き渡されるのや

、「あほん」いうやつは地獄火い投げ込まれのや




「「姦淫」する言うて 言われて来たことは、聞いてます

やけど、言うときます。 

だれすけぇなもいで おなごを見るんは、心の もう姦淫してるんや

おまはんの右の目えが つみを犯させんねやっ、抜き出して捨ててしまいなはれ

五体の部を うしのうたかて、全身が地獄投げいれられより まし




目えは目えを」言うて 言われて来たことは、聞いてます。 

やけど、言うときます。

悪人に手むこうたらあかん。

、だれかが おまはんの右のほったをどつきよったらほったも向けたりなはれ




「となりびとを愛し、敵をにく」言うて 言われて来たことは、聞いてます

やけど、言うときます。

敵をし、迫害するもんのめに 祈りなはれ

そうやっ おまはらのおうはんの子供になるめなんや




おまはんが施しをするときには、右の手えのすることを 手えに知らさんようにあきまへん。

なんかっちゅうと おまはんのする施しが隠れてるめなんや

そしたられたとを見てはる おまはんうはんは 報いてくれはんのやで。




地上に たからを ためたらあかん。

うて 自分のめに 虫もつへん、さびもつへん

とが押し入っ盗みだすこともあへんんに、たからをためなはれ

おまはんのからのあるところに こころもあるらや




やさかいおまはらに言うときます。

食べとかとか自分ののちのとで 思いわずろうたり

何を着よとか自分のからだのことで 思いわずらうもんやあへん

のちは べもんにまさるやないか

からだは 着ものにまさるやないか

空のとりを 見てみなはれ

蒔くとも、刈ることもえへ、くらに入れとくこともしまへんろ。

やのにおまはらのんのおうはんはちゃ鳥をやしのうてくれてはりますやないか。

おまはらは、鳥より うっすぐれたんや

おまはらのなかで、誰が思いわずろうたからうて自分の寿命をちょこっとでも延ばせるんが あるいな

なんで、着物のことで 思いわずらいますのや

野のなが どうやっ育ってる 考えてみなはれ

働きえへん、つむぎもえへやないか

やけど、言うとくけど、えいがをめたときのロモンかて、このはなのひとつほどにも着飾ってかっんやで

きょは生え あしたは炉に投げ入れられ野のさかて、こうやっ よそおうてくれはんねやっ

おまはらに、それ以上 ええうにしてくれはれへん筈がやないか

、かみの国とかみの義を求めなはれ

そうしたら、こんなもんは みい ちゃあ 与えてくれはるんやで。

やから、あしたのことは 思いわずらわんでえのや

あしたのことは あした自身が思いわずろうてくれますがな

いちにちの労は いちにちでじゅうんや




とをいたらあかん。自分がさばかれへんめや

おまはらがさばく そのさばきで じぶ裁かれ、

おまはらの量る そのりで じぶはかられるんや

なんで、きょだいの目えあるちりが見えのに自分目えもくがわかれへんのや

自分目えに もくがあのに なんで きょだいにこて 

おまはん目えちりを取らしてくれまへんか」言えますのや

ん者はん。ま自分目えらざもくを取りのけはれ

そしたらはっり見えるうになるかいきょだいの目えちりを取りのけるとができまっえ。




求めなはれ。そしたら、もらえますのや

探しなはれ。そしたら、見つかりますのや

んをたたきなはれ。そしたら、明けてもらえますのや

なん 求めるもんはもらえ、探すもんは見つけられ、もんをたたくもんは、あけてもらえるのやかい

おまはらのなかで 自分の子供が パンをほしがってるのに いしをやるもんがあるいな

魚がほしい言うてんのに 与えるもんがあるいな

このようにおまはらはるいんでも 自分の子供に おくりもんをすることを知ってたら

んにいてはるうはんは なおさら 求めてくるんに ええんを くれはれへんとがあるいな

やさかいなん ひとさまからしてほしいと願うことは ひとさまにもそのとおしなはれ

これが、せいしょの教えっちゅうんや



まいんからはいりはれ

びにいたるもんは大きゅうて、その道はひろい

ほして、そっら入って行くもんが おおいのや

のちにいたるもんは せうて、その道はほそい

ほして、それを見つけるもんは 少ないのや




わてにこうて「主」「主」言うもんが んごくに入おもたら大間違いや

だ、てんにいてはるうはんの御旨を行うもだけが、入りまのや




ルタや、マルタおまはんは ぎょうんのとにころをくばりすぎて、思いわずろうてる。

やけど、無かったらあかんもんは そんなにぎょうんあやあへん

や、ひとつだけ

リヤは そのええうをんだんや。そして、それは、マリヤから取っあかんもんなんや




この水を飲むんは だれ み乾きます。

やけどわてが与える水を飲むんは いつま かわけへんだけうて

わてが与える水は、そのひとのいずみとなって、永遠のいのちに至る水が、わきあがりますのや




いっちゃんだいじないましめは、これだす。

イスエルよ。聞きなはれ

なる らのみは ただひとりの

ころをつくし、せいしんをつくし、おもいをつくし、ちからをつして、主なる おまはんのみを愛しはれ

にばんめは、これだす。

自分愛するうに おまはんの となりびとを 愛しはれ

これよりいじないましめは、ほかにおまへん。




わては、新しいいましめを おまはらに与えます。

互い愛し合いはれ

わてが、おまはらを愛たようにおまはらも互い愛し合いはれ

互い愛しうたら、それによっおまはらがわての子やっちゅうことをてのとが認めてくれますのや