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大阪弁の聖書


聖書が大阪弁で書かれていたら


放蕩息子の譬え


 また、イエっさんが言わはりましたんや。
 「ある大家(おおけ)の旦さんに、ふたぁりの倅(せがれ)がおったんでんな。
 その下の方がこれがまた父親に、
「「おとうはん。おとうはんが死んなはったら、わいがもらえることになってる財産がおまっしゃろ。あれ、今もらえまへんやろか。」」と言うたんでんな。
 その旦さん、「どもならんな、なんちゅうことを言うんやいな」言いながらも、ふたぁりの倅に財産を分けてやった言うんですな。
 何日もたたんうちに、下の倅の方はその財産をぜぇんぶ銭(じぇん)に替えて、遠い国に出ていてしもたちゅうんですがな。
それで、好き放題、やりたい放題、遊ぶだけあそんでからに、財産を無駄につこてしもたんですわ。
何もかも使い果たしてしもて、すっからかん丸裸になってしもた折に、泣きっつらに鉢、悪いことは重なるもんですな。
えらいことに、その国に、えらいひどい飢饉がおこったんですわ。
ほいで、その倅、食べるもんにも困ってしもたんですわ。
まぁ、渡る世間になんとか言いまして、その国に住むある人のとこに居候(いそうろ)さしてもらうことになったんですな。
ほいで、畑へ行て豚の世話をさしてもらうことになったちゅうことですのやが、何せ、食べるもんがおまへん。豚のえさでイナゴマメ言うのがおますのやが、そんなもんでも食(く)てみたろか思(おも)たんやけど、誰も食いもんをくれる人がおまへなんだ。
腹が減ってどもならんようになったとき、倅はやっと我にかえりよった。
「「おとうはんのとこにおったら、あんなにぎょうさん奉公人がおってからに、ありあまるほどに飯(まま)があるちゅうのに、わいはここで飢えて死んでしまいそうやがな。そや、おとうはんのとこへ行て言お。
「おとうはん、わては、神さんにも、おとうはんにも悪いことしてしまいました。かんにしとくなはれ。もう、倅やと思てもらわんでもよろしおまっさかい、奉公人の一人にでもしてもらえまへんやろか。」
ほれで倅は、父親のとこに行(い)たんでんな。
ところが、まだまだ遠いとこに離れてたんやが、父親が倅を見つけて、憐れに思うたんですな。ほいで、てぇと走りよって、倅の首を抱き、接吻をしたっちゅうことで。
倅は言いました。
「「おとうはん、わては、神さんにも、おとうはんにも悪いことをしてしまいました。かんにしとくなはれ。もう、倅と思てもらわんでもよろしおまっさかい」」
そう言い終わらんうちに、父親は奉公人らに言うたんや。
「「急いでいちばん上等の着物(べべ)を持って来なはれ。ほいで、この子に着せたってや。手ぇに指輪をはめたってぇな。裸足やがな。ええ草履履かしたって。
ほいで、肥えた子牛を連れてきて、料理しなはれ。みんなで食べてお祝いしよやないかい。死んでたのに生き返り、おらんようになっとったのに見つかったさかいやがな。」」
ほいで、祝宴を始めたちゅうことでんな。
ところで、上の倅の方は、そのとき畑におったんやが、家の近くまで帰って来たら、こら、鳴りもんやら踊りやら、えらい騒ぎや。奉公人の一人を呼んで、「こら、何ごとや?」ちゅうて尋(たん)ねた。
奉公人は言うた。
「小ボンはんがお帰りでおます。無事な姿でお帰りになったちゅうのんで、旦さんが肥えた子牛を料理されましたんや。」
それを聞いてその倅、えらい怒ってしまいよって、家にはいらなんだんですわ。
しゃぁないさかい、父親が出てきてまあまあ言うてなだめたんやが、倅は父親に言うた。
「「わいはこの通り、何年もおとうはんにお仕えして来ましたやないかいな。言いつけにそむいたことも一遍もおまへん。それやちゅうのに、わいが友達と宴会をするために、子山羊一匹おくんなはったことおまへんでしたがな。そやのに、あんたのあの倅ちゅうたら、おなご遊びであんたの身上を食いつぶした挙句に帰って来たちゅうのに、なに?肥えた子牛を料理したやて?そんな道理に合わんことがおまっかいな。」」
ほしたら、父親が言うた。
「「何を言うてまんねや。お前はわてと一緒にいつもいてるやないかいな。わてのもんは全部お前のもんやがな。そやけど、お前のあの弟は、死んでたのに生き返ったんや。おらんようになっとったのに見つかったんやないかい。お祝いをして楽しみ喜ぶのは当たり前のことやないかいな。」」」